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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)1305号 判決

原告

丸橋ヤス子

右訴訟代理人

斎藤尚志

野田弘明

被告

上田泰久

被告

上田芳江

右両名訴訟代理人

稲垣清

被告

佐藤正子

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金九七四万五九〇五円及び内金八九九万五九〇五円に対する昭和五三年七月三日以降、内金七五万円に対する昭和五七年七月一〇日以降各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを九分し、その八を原告の負担とし、その一を被告らの負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告らは、原告に対し、連帯して、金八二七三万八七六八円及び内金七四七三万八七六八円に対する昭和五〇年六月二二日以降、内金八〇〇万円に対する昭和五七年七月一〇日以降各支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言〈以下、省略〉

理由

一各書証の成立〈省略〉

二請求原因1の(一)(事故の日時)、(二)(場所)の事実、及び(三)のうち、事故当時原告が被告佐藤正子運転車両に同乗していたこと、被告佐藤運転車両と被告上田芳江運転車両が衝突したことは、当事者間に争いがない。

そして、甲第二号証によれば、原告は右事故により頭部打撲傷、頸部捻挫傷、外傷性頸頭症候群の傷害を負つたことが認められる。

三被告らの責任〈省略〉

四原告の症状と治療経過

1  〈証拠〉を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  原告は、事故翌日の昭和五〇年六月二三日から同年九月三〇日までの間(一〇〇日間)、名古屋市熱田区内の幸節病院に通院し、治療を受けた(治療実日数八七日)。

昭和五〇年六月二三日における診断病名は、頭部挫傷、外傷性頸頭症候群(向後約三週間の安静加療を要する)であつたが、次第に多くの症状が発現した。昭和五〇年八月二一日付幸節病院医師幸節一男作成の診断書には、原告の病名及び態様として、次のような記載がある(甲第二号証)。

「頭部打撲傷、頸部捻挫傷、外傷性頸頭症候群

肩、頸部に終痛あり。頭部に頸部より頭痛高度なり。吐気、嘔吐あり。睡眠高度の障碍あり。思考力減退、記憶力減退等脳神経障碍あり。両上肢の神経障碍シビレ感あり。背部疼痛あり。腰部疼痛あり。」

その後、幸節病院での診断病名は、「頭部打撲挫傷、外傷性頸肩頭症候群、背部挫傷、右外傷性膝関節炎」(昭和五〇年九月五日付診断書、甲第三号証)、「頭部打撲傷、外傷性頸頭症候群、肩背頸挫傷、外傷性左膝関節炎、両上肢神経痛」(同年一〇月二〇日付診断書、甲第四号証)となり、右各診断書には、同年八月二一日付のものと同じような多種多様の(自覚)症状の記載がある。

(二)  続いて原告は、昭和五〇年一〇月一日から同月八日まで名古屋市南区内の大島病院に通院した後、同年一〇月九日から翌昭和五一年一月一四日までの九八日間同病院に入院し、退院後昭和五一年一月一五日から同年七月三一日まで通院して治療を受けた(通院期間通算二〇七日、治療実日数一六三日)。

同病院の診断病名は、「陳旧性頸部頭部左膝挫傷、脳震盪症(昭和五一年一月から左股関節挫傷が加わる。)」であり、同病院作成の各診断書(甲第六、第八、第九号証)には、頭部、頸部痛、眩暈、吐気、背部痛、四肢のしびれ感、左膝左股関節部の疼痛等多種多様の(自覚)症状の記載がある。

大島病院では、原告は、昭和五一年七月三一日で症状が固定したとの診断を受けたが、同病院の検査診断によれば、脳波は正常の範囲内であり、レントゲン検査の結果も頭部・頸部・左膝・左股関節に特記すべき異常は認められなかつた。

(三)  続いて、原告は、昭和五一年九月八日から、名古屋市中川区内の松蔭病院へ通院して治療を受けた。同病院における当初の診断は、「心因反応、頭部外傷後遺症」であり(昭和五一年一〇月四日付診断書、甲第一〇号証)、各診断書(甲第一一、第一三ないし第一六号証)には、前記(一)、(二)に掲記したのと同様の多種多様の自覚症状の記載がある。例えば、昭和五三年七月三日付の診断書(甲第一四号証)によれば、原告の自覚症状は、「頑固な頭痛、不眠、食思不振、全身倦怠、脱力感、眩暈、頸部背部上肢にかけてしびれ、浮腫を伴う著明な疼痛、感覚障害、歩行障害、視力障害、気分抑うつ、自信消失、焦燥」と記録されている。

しかし、同病院で治療中の各種検査結果をみると、脳波は全体に低電位であるが局所異常は認められず、検尿、耳血、心電図、肝機能はいずれも正常範囲内、頭部、頸椎、胸椎各X線もいずれも正常範囲内であつた。但し、平衡機能障害は著明で、血圧は低血圧、腱反射(特に左上肢)が低下(しかし病的ではない)していた。

昭和五三年七月三日に、原告は、同病院で症状固定の診断を受けた。同病院への通院開始(昭和五一年九月八日)から、右症状固定までの実治療日数は一九一日であつた。

(四)  原告は、前記のような治療経過を経て、本件事故が業務中発生したものであることから、昭和五三年四月三〇日名古屋北労働基準監督署長から廃疾障害等級二級の認定を受けた。

ところが、自賠責保険の関係では、昭和五三年一二月、原告の後遺障害は、心因性のものと考えられることを理由として、後遺障害等級一四級(九号、現在の一〇号)に該当するとの認定を受けた。

2  鑑定人野村隆吉の鑑定の結果及び証人野村隆吉の証言(以下この両者を併せて野村鑑定という)によると、次の事実を認めることができる。

昭和五五年七月二八日から同年八月六日までの一〇日間、原告を国立名古屋病院に入院させ、鑑定人野村隆吉により診断が行われた。それによると、右鑑定時の主訴(自覚症状)は、(1)頭痛(常時氷嚢で冷やしていないと割れそうに痛む)、(2)四肢のしびれ感と脱力(この為に歩行できず、ツタワリ歩きかはつてしか動けない)、(3)頻発する嘔吐(この為に点滴注射を受けた)、(4)右羞明(右目を開いていると痛むので閉じている)、(5)計算力、記憶力の低下、(6)疲労しやすい、との諸点であつたが、右(1)、(2)、(3)、(6)については他覚的異常所見は認められず、(4)については、視力右0.4、左0.5、右眼に結膜炎が認められたのみであつた。ただ、右(5)に関しては、知能テストで精神機能の低下が示され、脳波検査でもそれに合致する所見が認められた。

そして、右野村鑑定人の見解は、「自覚症状が多彩で激しいにもかかわらず、身体的異常所見に乏しく、挙げられている諸症状はいずれも脳損傷に起因すると説明し裏付けることはできない。原告の諸症状の中心は心因的要因と思われ、しかも右要因の最も重要な部分は本人の病前よりの性格である。交通事故との関連は、直接事故による後遺症と思われる症状は見られないが、間接的には右諸症状は交通事故と深い関連があると思われる。原告の右症状を自賠責の後遺症等級に当てはめると、七級(四号)に該当する。」というものである。

五被告らの責任の範囲

前記四に認定した事実経過によると、原告の症状は、当初はともかく、昭和五五年七、八月の野村鑑定人による鑑定時においては、本件事故に基づく直接的な物理的・器質的な後遺症は認められず、その諸症状はもつぱら心因的要因によるものであり、しかも、右心因的要因の最重要の部分は本人の病前よりの性格であると認められる。

しかし、反面、原告の前認定のような多彩な激しい症状を惹起するについて、本件の事故が間接的ながら重要な誘引力を有していたものと認められるので、このような場合には、両者の間に法的意味における因果関係を全く否定はできないといわなければならない。前記四に認定した事実経過によると、原告が大島病院において症状固定の診断を受けた時には、原告の諸症状には本件事故による物理的・器質的要因は認められず、その本体が心因的要因であることが明らかになつていたと認められ、不法行為上の損害賠償責任の関係においては、右症状固定の診断がなされた昭和五一年七月三一日までは原告の症状の全部について因果関係を認めるのが相当であるが、その後については、本件事故の起因力を三分の一と評価し、その限度において被告らの賠償責任を肯定するのが相当である。

六原告の損害(慰藉料を除く)

1  〈証拠〉並びに野村鑑定によると、原告は、昭和五〇年六月二三日以降、前記四の1の(一)ないし(三)認定のとおり幸節病院、大島病院、松蔭病院でそれぞれ治療を受け、昭和五三年七月三日に症状が固定し、松蔭病院でその旨の診断を受けたこと、本件事故当時原告は第一生命保険相互会社名古屋中央支社に保険外務員として勤務していたところ、本件事故により少なくとも右昭和五三年七月三日までは休業を余儀なくされたこと、原告は右期間内、日常生活において他人の介護を必要とし、家族の者らがこれに当たつてきたことが認められ、〈反証排斥略〉。そこで、右の事情を基に、各損害について判断する。

(一)  休業損害

昭和五〇年七月一日から昭和五三年七月三日までの原告の休業による損害は、事故前三か月の平均収入(一日一万〇五九九円、〈証拠〉による。)を基礎に算定すると次のとおりとなる。

昭和五一年七月三一日までの分 四二〇万七八〇三円

10,599×397(日)=4,207,803

昭和五一年八月一日から昭和五三年七月三日までの分 七四四万〇四九八円

10,599×702(日)=7,440,498

(二)  付添費

前記六の1の冒頭の認定事実によれば、右期間中の付添介護費用は、一日につき二〇〇〇円が相当であり、これに入院期間を除く日数を乗ずると、付添介護費用は次のとおりとなる。

昭和五一年七月三一日まで 六一万四〇〇〇円

2,000×(405−98)(日)=614,000

(注) 405日は50.6.23から51.7.3まいでの日数

同年八月一日から昭和五三年七月三日まで 一四〇万四〇〇〇円

2,000×702(日)=1,404,000

(注) 702日は51.8.1から53.7.3までの日数

(三) 交通費

弁論の全趣旨によれば、原告は前記三病院へはタクシーで通院したことが認められるところ、前記四の1の(一)ないし(三)及び六1の冒頭に認定した事実に照らすと、タクシーによる通院もやむを得なかつたものと認められる。弁論の全趣旨によれば、タクシー通院に原告が支出した費用は、次のとおりと認められる。

昭和五一年七月三一日まで 一万六一二〇円

右以降昭和五三年七月三日まで 二二万三四七〇円

(甲第一一号証及び弁論の全趣旨により、松蔭病院へのタクシー料金は、平均して往復一一七〇円を下らないものと認める。よつて、同病院への実治療日数一九一日分は、右のとおり二二万三四七〇円となる。)

(四) 雑費

入院期間中(九八日間)については、一日六〇〇円、合計五万八八〇〇円を認めるのが相当であるが、その余の通院期間については、損害として雑費を認めるのは相当でない。

2  前認定のとおり、昭和五三年七月三日に原告の症状は固定したものと認められるところ、〈証拠〉、野村鑑定を併せると、原告の後遺症の程度は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表七級四号に該当するものであることが認められる。

(一)  逸失利益

右によれば、原告は症状固定から一〇年間その労働能力の五六パーセントを喪失するものと認めるのが相当である。右後遺症による原告の逸失利益は、前記六の1の(一)の平均収入を基礎に、ホフマン式により年五分の中間利息を控除して計算すると、次のとおり一七二一万二一一四円となる。

(10,599×365)×0.56×7.9449

=17,212,114

(二)  付添費

冒頭認定の原告の後遺症の程度に照らすと、症状固定後は、付添介護が必要とは認められない。

(三)  交通費

〈証拠〉によると、原告は症状固定後も暫くは治療を必要としたものと認められ、その通院のための交通費として、昭和五三年七月四日から七か月間、一か月に八回の割合で松蔭病院へ通院するタクシー料金を認めるのが相当である。右タクシー料金は次のとおり、月別ホフマン係数によつて計算すると、六万四四五〇円となる。

(1,170×8)×6.8857=64,450

(四)  雑費

症状固定後についても、症状固定前の通院期間中と同様に、損害として雑費を認めるのは相当ではない。

七労災関係給付の控除等

1  前項の認定によると、原告の損害(慰藉料を除く)のうち、昭和五一年七月三一日までの分と、同年八月一日以降の分は、それぞれ次のとおりである。

昭和五一年七月三一日まで 四八九万六七二三円

同年八月一日以降 二六三四万四五三二円

2  (労災関係給付の控除)

〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を併せると、被告上田両名の主張6の(一)の(2)、(四)の(2)、(五)の(2)ないし(11)の労働者災害補償保険法による各給付が原告に対してなされていることが認められる。右のうち、本件で控除すべきものは、被告の主張6の(五)の(2)ないし(6)の各給付である(なお、同6の(五)の(7)ないし(11)の各給付は、労働者災害補償保険法二三条の規定に基づき、労働福祉事業の一環として給付されるものであつて、損害の填補を目的とするものではないから、損害額から控除することはできないものと解する。)。これを、昭和五一年七月三一日までの分と、同年八月一日以降の分に分けると、それぞれ次のとおりとなる。

昭和五一年七月三一日まで 九二万四八三〇円

同年八月一日以降 一四八七万九五五〇円

よつて、控除後の損害額は、それぞれ次のとおりとなる。

昭和五一年七月三一日まで 三九七万一八九三円

同年八月一日以降 一一四六万四九八二円

3  前二項によれば、被告らが責任を負うべき慰藉料を除く損害額(但し、後記損益相殺前のもの)は、次のとおり、七七九万三五三五円となる。

八慰謝料

原告の受傷及び後遺症の程度、態様、治療経過、その他本件弁論にあらわれた諸般の事情に照らし、本件の慰謝料としては、四五〇万円が相当と認める。

九過失相殺の当否(被告上田両名の主張5)

被告上田両名は、原告が被告佐藤車の運行供用者であつたとして、被告佐藤の過失の割合に応じて過失相殺がされるべきである旨主張するが、原告が運行供用者であることを基礎づける運行利益ないし運行支配を有していたと認めるべき証拠はない。よつて、この点に関する被告上田両名の主張は理由がない。

一〇損益相殺(労災関係給付を除く填補額の控除)

被告上田両名の主張6の(三)(原告の大島病院入院中の雑費)、同6の(七)(自賠責保険よりの後遺症に対する補償)の各支払を原告が受けたことは、原告と被告上田両名の間で争いがなく、同被告らの主張6の(一)の(1)(治療費)、同6の(二)(原告の大島病院入院中の付添看護料)、同6の(四)の(1)(交通費)、同6の(五)の(1)(休業補償)、同6の(六)(慰謝料)の各支払については、〈証拠〉により、いずれもこれを認めることができる。

被告上田両名の主張6の(一)の(1)、(二)、(三)については、原告は本訴において右費目の損害を請求していないが、右乙号各証によれば、原告は右各費用をいずれも被告らに請求できるものと認められるから、結局本訴において控除すべきものは、同被告らの主張6の(四)の(1)、(五)の(1)、(六)、(七)の各支払ということになる。

従つて、控除すべき右填補額三二九万七六三〇円を控除すると、最終的に原告が被告らに対し請求できる損害額は、次のとおり、八九九万五九〇五円となる。

(7,793,535+4,500,000)

−3,297,630=8,955,905

〈以下、省略〉

(岩田好二)

交通費明細〈省略〉

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